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なでしこジャパン 佐々木監督の経歴は?引退後 大宮アルディージャに内定の理由とは? [スポーツ]

今期、なかなか苦しい様子のなでしこジャパン。
リオ五輪にむけた予選が終れば、
これまで監督の任についていた
佐々木監督も、いよいよ
『引退』の二文字が見えてきます。

これまで希有なマネジメント力で、
なでしこの女子サッカー選手たちを
数々の勝利に導いて来た佐々木監督。

そんな佐々木監督の、これまでの経歴と、
引退後の予定などを、あらためてまとめてみました。

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学生時代


1958年、山形県花沢市出身の佐々木監督。
父親の転勤により、小学校のときに
埼玉に引越した際、山形訛りを馬鹿にされたことで、
持ち前の俊足を活かせるサッカーの練習に傾倒します。

・埼玉県立浦和西高等学校
・帝京高校

サッカー部として活躍した帝京高校では、
3年次キャプテンとしてチームを率い、
見事インターハイで優勝。
この学年における、全国でも
最も優秀な選手として
海外遠征のキャプテンをつとめています。

・明治大学文学部文学科英米文学専攻

大学では、意外にも文学を専攻。
同時に、サッカー部にも所属していました。


NTT入社と現役時代


明治大学卒業後、
社会人スポーツチームで知られる
NTT東日本(=東日本電信電話)に入社。

・電電関東/NTT関東サッカー部

において、ミッドフィルダーや
ディフェンダーの要の選手として
プレイしていました。

1981年には、「全国社会人大会」において、
見事NTT関東を優勝に導きます。
また、5年後の1986年にも、
「全国地域リーグ決勝大会」
の優勝に貢献しています。
このように、33歳で現役を引退するまで、
選手としても素晴らしい成績を
おさめているんですね。


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監督として


現役を引退してすぐに、
サッカー監督としてのキャリアをスタート。
1998年から、大宮アルディージャの監督を、
1999年からは強化普及部長及・ユース監督に
就任しておられます。

大宮アルディージャというチームは、
もともと上述のNTT関東サッカー部が
旧大宮市に本拠地を移転し、
Jリーグ入りしてチーム名を改称したもの。
なので、佐々木監督にとっては、
勝手知ったる自分のホームチームという感じで
やりやすかったでしょうね。

そして、いよいよ2006年からは、
サッカー日本女子代表コーチとU-17日本女子代表監督に就任。
2007年からは、U-20日本女子代表監督に就任。
2008年頃からは、サッカー日本女子代表の監督として
世界大会で優勝に導くようになります。

このように見て来ると、佐々木監督が
育ててきたU-17やU-20の女子選手たちが、
日本代表として世界のタイトルを獲得してきているんですね...

2011年のFIFAワールドカップでは、男女ともに日本初の優勝。
「選手たちは粘り強くやってくれた。
世界一は本当にビックリです。
ちっちゃな娘たちがよくやってくれた」
とおっしゃってました。

それはもう、父のような目線に
なってもおかしくないですね!


引退後?


しかし、さすがに主力の澤選手の引退、
宮間選手の不調からか、
今期は苦しい試合を強いられている
なでしこジャパン。

リオ五輪までの契約でつとめている
佐々木監督の、引退後の就職先について
すでに話題にのぼっています。

さきほど経歴としてあげた、
かつて監督・コーチ経験のある
大宮アルディージャ。
そのフロント幹部になることが、
現時点で内定しているといいます。

また、最近では、サッカー選手を目指す
小さな子供たちと、そのお母さんに向けた
サッカー教室も行っているそうで、
こちらも大人気なんだそうです。

素晴らしい成績と、
その人間的魅力で有名な佐々木監督。
引退後も、引く手数多のようですね。


ここまで読んでいただき、
ありがとうございました!


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